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第32話 『 トークライブ 』

目黒川には春になると一か月限定でピンク色の可愛いぼんぼりが点灯する。年に一度の川沿いのライトアップだ。このぼんぼりが点くと「あー、春が来たんだ!」と心が騒ぐ。すごく嬉しい気持ちだ。このぼんぼりのピンクの光の連続が僕の家の窓からずーっと見渡せる。一年中設置しておいても素敵だと思うのだがそうはいかないのだろうか。先日設置工事をしている職人さんを見かけたので、「春の予感がして嬉しい」、と気持ちを伝えると、「そう言ってくれると仕事のやり甲斐がありますよ」、と返事が返ってきた。
そんな春の先駆け、東京ビッグサイトでPIE、つまりカメラ見本市が開かれた。昨年はパナソニックのブースで「スナップ写真の撮り方」というテーマでトークをした。今年はノーリツ鋼機という、業務用の現像機を製作している会社から依頼されて、「自分らしい写真に出会う時」というテーマで一時間のトークライブを依頼された。午後2時から3時という、昼下がりの落ち着いた時間帯だ。当日、2時少し前になってもステージ前のスペースにはお客さんがまばらだった。さて、もっとお客さんは集まってきてくれるだろうか。遠く、カメラメーカーのブースをいくつか見渡すと、華やかなモデルさんを複数ステージ上に登場させ、撮影指導の真っ最中だった。大勢の男性達がモデル達に群がってシャッターを切りまくり大賑わいである。「いやー、あれには負ける」と僕は少々意気消沈した。しかし、2時を少し回ったところで徐々にお客さんが集まってきてくれて、僕が司会の女性に紹介されてステージに登場する時には50〜60名の方々でスペースは埋まった。僕はほっと胸をなでおろした。こちらは女性の数も多く年齢は幅広かった。トークライブではいつも、話の入り方や道筋はアドリブに任すことにしている。その場の空気に応じて笑いから入ったり、まじめな話から始まったりと様々な入り方があるからだ。ステージの周辺にあらかじめ20 X 24インチの作品を4点飾っておいた。この4点を選んだ時は深く考えていなかったが、実に的確な選定だったことに気づいた。1枚目は1973年、僕がイギリスに渡った初年、23歳の時にブライトンという街で撮影したものだ。学校の校庭で女子高生が遊んでいる写真。2枚目はその数年後、失恋にまつわるストーリーが隠されている雪景色の写真、3枚目は、恒例、トークでいつも喋る、パンクバンド、クラッシュのジョーの地下鉄内でのショットだ。この3枚と、話の途中でスクリーン上に流す最近の写真群で作ったスライドショーでトークの流れが十分出来る筋書きが見えてきた。つまり、23歳の頃から現在に至るまで、写真を撮る時の気持ちにブレがなく、常に人間のポジティブな一瞬を永遠のものとする夢をこめて撮影していることを語れば、今日のテーマにもっていくことが出来ると確信した。先程の憂慮はどこかへ消えていた。この日は、並べた写真解説から話を始めた。真面目な入り方である。通りかかった人も足を止めてくれた。あとは自信を持って、大きな声で、ゆっくりと、簡潔に、ユーモアを交え、お客さんの目を見渡しながら落ち着いて喋れば良いのだ。一生懸命メモを取っている人、深くうなずいている人、冗談に笑ってくれる多くの人達。そうしたお客さんの熱心な反応が伝わってきた。するとその熱心さにのせられて話の道筋がますます面白い様に上手く繋がっていった。1時間はあっという間に過ぎ、「時間は少しなら気にしなくて良いですよ」、というノーリツの方の言葉に甘え、20分程超過して話を終えた。司会の女性が再び登場し、質問を受け付けた。4名の方が手を挙げてくれた。これで話が一方通行にならなくて済む。場が生き生きとしてくる。これは大きな進展だった。3人の質問に答えたところで時間切れとなった。お客さんが解散したところで、4人目の質問をしてくれた方のところへ行って個人的に質問に答えた。その人は嬉しそうにしていた。そこへ別の男性が来てこう言った。「たまたま通りかかったんですが、ハービーさんの写真は昔からすごく好きでした。今日ご本人を拝見して、写真と同じ様な優しい人柄を感じて安心しました。写真と人柄の間に、もしギャップがあったら悲しいですもん・・・。」彼は笑顔で僕に握手の手を差し伸べた。今日のトークライブの大成功を実感した。会場の外へ出ると、すっかり長くなった春の陽差しが心地よかった。目黒川の桜ももうすぐ咲くだろう。満足感と春への期待を心に秘め、僕はさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。