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TOPページ > ハービー・山口の「雲の上はいつも青空」 > 第36話 『写真家になる日』



第36話 『 写真家になる日 』

10年程前の僕の著作に「代官山17番地」という写真集がある。1997年に再開発のため解体された集合住宅、同潤会代官山アパートの姿を2〜3年かけて撮った写真集だ。この代官山アパートを僕が最初に訪れたのは1980年代の中頃だった。 モデルをかって出てくれた女の子と代官山周辺を歩いていて偶然見つけた。 表通りから一歩奥まったところに位置していたから、ちょっと勇気を出して踏み込まないと、この建物のたたずまいの魅力を堪能出来ない立地になっていた。 最初にこの敷地に足を踏み入れた時の新鮮な驚きを今でも良く憶えている。都会の真ん中に、こんなにもゆったりとした平和な空気が流れていることにまず驚きを隠せなかった。 そして建物の細部を見ると、そのたたずまいが日本建築離れしていて、とても洒落た趣を醸し出していた。 その時、すでに築後60年は経っていただろう。大きく茂った、まるで森の様な自然が敷地内に共存していた。そして建物の壁は所どころ蔦に覆われていて、建築物と大自然と時の流れが見事に融合し、なんとも心地良かった。
「この空気感は・・・。」 僕はモデルの女の子と一緒に敷地内を散策しながら、どこか海外の平和な国の時空へ迷い込んだかの様な錯覚にとらわれていた。
それから10年が経ち、1990年の中頃に時代は進んでいた。僕は中目黒に引っ越した。その頃、時を同じくして、僕が髪をカットしに行く美容室「BOY」が、このアパートの敷地内の一角に支店「BOY BIS」を出店した。薄茶色のアパートの標準的な色とは対照的に、「BOY BIS」は黄色と優しい青緑のパステル調の色取りが施され、この一角だけがまるでヨーロッパの旧市街から抜け出てきたかの様な、可憐な存在感を放っていた。美容師さん達から、この建物はあと数年で再開発のため壊されることになっていると聞いた。なんとも言い難い無念さが胸一杯に拡がった。この心地よい、平和な空間が無くなってしまうなんて・・・
僕はこの建物の最期の数年を写真に収めようと固くこころに誓った。
その頃、頻繁にロンドンに行く機会に恵まれていて、ある時現地でローライフレックスの専門店を見つけた。研究室の様に清潔なその店のガラス棚にローライフレックス2.8Fを見つけた時、代官山アパートはこの6X6判のクラシックな一台ですべて撮影してみようと直感した。建物は大きいから広角レンズが欲しくなるのは想像出来たが、あえて80ミリの標準レンズ一本で撮ることに挑戦してみたかった。 帰国後試写をすると、7〜8コマ位から、画面の右端にフィルムの名称やコマ数が写り込むことがわかった。バルナックのライカで撮ると、フィルムのパーフォレーションが画面下に写り込むのと同じだ。これはかっこ良いと思った。使っているフィルムの名称が見えるのなら、トライーXではなく、イギリス製のイルフォードの方が好みだったので、以後フィルムをすべてイルフォードに変えた。
幸い僕の住んでいるところから徒歩10分程でアパートまで行けた。「BOY BIS」を基地にして僕は時間が許す限り通い詰めた。通えば通う程、このアパートの醸し出す独特の空気感にこころ打たれ、胸一杯に葉の香りを吸った。一歩敷地内に足を踏み入れるだけで気分がガラリと変わるのだった。東京で一番好きな場所だった。 最初は建物の全景、そして徐々に窓枠や郵便受けなどの細部にレンズを向けた。 建築家にとってこの建物はデザインのヒントの宝庫だそうだ。大学の建築学部の学生、美大を目指す予備校生、プロの画家と毎回顔を合わせた。
そのうち、住んでいる人や散歩で来た人も含め色々な人達と話をするようになった。すると僕と同じ様に何人もの人達がこの建物が無くなってしまうことを残念に思っていることを知った。
建物だけにカメラを向けていた僕だが、次第にここを愛している人達にもカメラを向けるようになった。後半は建物と惜しむ人達の双方が最も美しく輝く写真を撮りたいと思う様になった。若い二人が走る後ろ姿を撮った一枚がある。この建物が無くなることを嘆く僕に彼らは言った。「ここは無くなっちゃうけど、もっと人間に優しい、新しい街を造るきっかけにすればいい・・・」。 若者達は嘆くより、良き未来を目指しているんだ。それを知った時、僕はこの一枚に「TOMORROW」というタイトルをつけた。
もはや、この敷地内は僕にとって絶好の被写体に恵まれる、理想的な天然のスタジオとなっていた。どこにレンズを向けても絵になった。そして家に上がって一家団欒を撮らせてもらったり、また、引っ越した後の空室に入り、窓からの新たな光景に感動した。こころゆくまで撮るというのはまさにこのことだった。 そして時は流れ、1997年夏、この敷地は解体のため金属の塀で仕切られ閉鎖された。 思えば、安らかな夢を見ている様な幸せな数年間だった。被写体に恵まれること、なんといってもこれが写真家の一番の幸運である。
写真家になる日とは、カメラを手に入れた日ではなく、撮るべき被写体に出会った日なのだとつくづく思う。