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第58話 『さがみはらでの再会』

写真文化の発展普及を目的とした活動というのは全国に数あって、それぞれの特徴を発揮し毎年活発なイベントを繰り広げている。主だっては写真家に賞を授与したり、写真展や撮影会を開催をしいる。リーダーシップをとっている人は、何よりも活動をより意義あるものにするため毎年神経をすり減らしているに違いない。ましてや長年に渡って継続することは至難の業だろう。そうした写真活動の代表例は北海道の東川町の写真イベントだ。もう25年間続いている。「フォトシティさがみはら」も写真家の間では有名なイベントだ。また、新しい動きとしては、今年、キックオフイベントを行った横浜での写真イベントが挙げられる。下岡蓮杖が、日本で最初の写真館を横浜で開設したというのがゆかりで、将来にむけて横浜が写真の街として活動を行う計画があるという。
5月17日、僕が依頼されたのは、「フォトシティさがみはら」の10周年記念イベントでの講師だった。大きな公園に近隣の小学校に通う小学生を集め、地元の写真愛好家と、依頼したプロ写真家が合同で小学生の指導を行うのだ。

このさがみはらで、リーダーシップをとっているのが、地元に在住する写真家の江成常夫さんだ。彼は大学卒業後、毎日新聞のカメラマンとして活躍し、退社後フリーになってアメリカへ渡った。そこで手探りから始めて、ライフワークの一つとなったのが、「花嫁のアメリカ」だ。日本人の女性が、戦中、日本に来たアメリカ人と結婚し、アメリカに渡って何十年と経った後の人生を迫ったドキュメンタリーだ。その後も中国の残留孤児を扱った作品があり、また、広島を題材にした作品、さらに南太平洋の国々に現存する第二次世界大戦の傷跡をえぐった作品群がある。いずれも戦争が生み落とした現実に真摯に対峙した作品の数々である。この様な、国が国家単位で行わなければならない様な視点を、江成氏は一フリー写真家として長く持ち続け、具現化してきたのである。 実はこの江成氏は僕の卒業した、東京経済大学の先輩にあたる。僕の大学当時の部活は写真部だったが、江成氏は新聞部だった。 

さかのぼって1985年、僕は10年のロンドン生活に区切りをつけ帰国し、渋谷パルコで写真展を開いた。その写真展開催と同時に流行通信社より、僕の処女写真集「LONDON AFTER THE DREAM」、そして講談社よりエッセイ集「CLIMBー女王陛下のロンドン」を出版した。その写真展のオープニング・パーティーに江成氏は、奈良原一高氏、東松照明氏らと出席して下さり、パーティー冒頭での挨拶をして下さったのだ。「長いイギリスでの滞在の成果として、一冊でも難しい本の出版を、それも2冊同時に行うとは、写真家として本当に素晴らしいことであり、今後の彼の活躍がじつに楽しみでならない、、。」

江成氏とはその後、度々どこかの写真展のパーティーでお会いする機会があったり、コンテストの審査員にならないかというお誘いのお電話を頂いたが、長く膝を突き合わせて話をするという場は残念ながらないままに時は流れたのである。
パルコの写真展から25年という歳月があっという間に経ってしまった。
2010年3月、僕は江成氏から一通の手紙を受け取った。その内容は、「フォトシティさがみはら」の10周年記念事業のための招待講師としての参加依頼であった。
勿論僕は早速、江成氏に電話をし依頼を快諾する旨を伝えた。「そう!引き受けてくれる!!」電話の向こうで江成氏の明るい声が弾んでいた。

5月17日、今年一番といっても良いくらいの好天に恵まれた、新緑が美しく輝く相模原の広大な公園に朝、関係者、アマチュア、プロ講師の全員が集合した。。
現地に集合し、講師一人一人が紹介される番になって初めて知ったのだが、この時の素晴らしい講師の顔ぶれであった。
石川直樹氏、内山英明氏、小野庄一氏、中野正貴氏氏、大西みつぐ氏、ハナブサリュウ氏、海野和男氏、菅洋志氏、 坂田栄一郎氏、全14名。なかなかこの様な方々が一同に会する機会はないであろうと思われた。

近隣の6小学校の5年生全員、500名が授業の一環として参加した。広い公園には、春に花が咲き乱れ、噴水が涼しげな霧を作り、小径が日陰を落とし、自然の中での活動は気分を高揚させた。小学生たちは、渡された27枚撮りの「写るんです」を握り、つとに伸び伸びと楽しげに被写体を追った。
撮影会は午前中で終わり、閉会式に集合した小学生に「また来年も撮影会に参加したい人はいますか?」との問いに、ざっと見る限り全員が手を挙げた。「写真を撮ることがとても楽しいと初めて思った」と発言してくれた生徒もいた。普段の授業とはかけはなれた面白い授業だと感じてくれたのだろう。

小学生に、この時集まった講師の顔ぶれの重みを知ってもらうということは、残念ながら無理なことだとは思う。しかし、良い指導者を人生の中で得るということは幸せなことである。
いつの日にか、彼らが今日のことを思い出す時があったなら、我々講師の参加は意義のあることにつながるだろう。

10年以上前、雑誌「音楽と人」で僕が撮影したことをちゃんと憶えていた石川氏や、中野氏、小野氏との再会。「何年か前になるけど、日本写真家協会のアンケートに君が書いてくれたことを理事全員に回覧して読んでもらったんだ。こういう思いの会員がいるってことを理事に知ってもらいたくて!」とご挨拶をしにきて下さった初対面の菅氏。
勿論、「今日は本当にありがとう。」と言いながら遠い過去を思い出す様な視線を、この日終始僕に向けて下さって握手をして下さった江成氏との再会。
写真家同士にも様々な思いがこころの中に拡がっていた。

全員が解散した後、5月の晴れ上がった一日、青空を見上げながら新緑の香りのする澄みきった空気を、僕は大きな満足感と共に胸一杯に吸い込んだ。